備忘録1

目銅家について

目銅家は江戸時代中期、銅鉱山事業で財を成した商家が源流であり、特に明治期から戦中にかけて目覚ましい発展を遂げた一族である。

造船から鉄鋼、不動産まで手広く手掛け、政財界に強い影響力を持っていたが、戦中の空襲で工場や家財の多くが焼かれ、次第に一族全体の羽振りは悪くなっていった。

旧銅鉱山跡の近くに本家を構えるが、今では最早管理する人間すらおらず、野に帰るに任せている。とはいえ、地域では未だに強い影響力を持ち、先日変死した前市長は目銅の親類縁者と言う話だ。

 

目銅が本拠を構える目銅市は、海に面し、後背を山に囲まれた、言ってみれば鎌倉のような土地である。人口10万4千人の地方都市で、夏にもなれば海水浴目当ての観光客がやってくる程度の、特筆すべきこともない土地だ。

かつては「道の石ころ一つまで目銅が手掛けた」と言われるほどであったが、今や見る影もない。

 

目銅家の創始者

 

目銅家の創始者、銅鉱山で財を成した男の名前は長兵衛という。

銅鉱山を拓くまでは中藤という姓を私称していたが、事業の成功と共に、目銅と名乗るようになったとのことである。長兵衛に関しては目銅市史に詳しい。

精力的に活動したが短命で、四十を迎える前に病没した記録が残っている。

事業に関する記録に名前は残るが、人柄や来歴について伝わることは少なく、外見も「見目麗しい」「とりたてて見るところのない」などと矛盾した記述がいくつかの日記から確認できる。

 

目銅家が現在経営する会社の一覧

・目銅電機工事

・MOKUDO SOFTWARE(旧称・目銅コンピュータ)

・目銅設備

・目銅メディカルケアセンター

・目銅不動産グループ

・目銅鉄鋼

・目銅貿易

 

目銅家は明らかに斜陽へ傾く家ではあるが、

事業の何もかもが破綻・衰退しているわけではなく、

今なお地域社会に強い影響を持つ一族である。

 

目銅鉄鋼について覚書

目銅家を繁栄させた銅鉱山事業から撤退して久しいが、後継である目銅鉄鋼は

現在も存続している。目銅家経営企業の中で最も安定していると言っていいだろう。

しかし前社長と前々社長の変死事件の頃から、社内は明らかにおかしいそうだ。

たまたま伝手があった私は、元従業員の男に接触して、世間話を装っていくらか情報を探った。

はじめは大層言葉を濁されたが、「ぼうっとする社員が増えた」と答えてくれた。

 

曰く、作業中に急に手を止め、何もない宙を眺めるのだそうだ。大抵、数秒から一分程度続き、はっとして作業に戻る。大したことはないように聞こえるが、現場では作業中の事故にもつながっており、死者も出ている。

目銅鉄鋼で彼は一度、「何を眺めているのか」を、ぼうっとしている従業員に聞いたことがあるらしい。その際、一言「おしえ」とだけ言われたという。