備忘録2

「おしえ」について

 

「おしえ」という単語は、目銅市周辺の心霊体験や怪談によく見られる。

私が目銅市にはじめに注目したのも、「おしえ」という単語が目についたからだ。

目銅市に限らず、市境を接するいくつかの自治体にもこの「おしえ」を含む話が点在している。

 

ただしそれが指すものは様々だ。呪いのようなものとする話もあれば、恵みとする話もある。不可視不可触の話、実体がある話。祖母から聞いたという話、学校で噂になったという話。矛盾したような種々の話が「おしえ」という単語のもとに集っている。

 

共通しているのは「もらってくるもの」だということだ。

病のように、どこかで「もらって」きて、誰かに接触すれば少しだけその誰かに「おしえ」が分け与えられる。

 

例として、こういう話がある。

 

 

ある日、Aさんは目銅市に住む友人のBさん宅を訪ねた。

Bさんが心霊現象に悩まされているというので、相談と、半分は見物気分で伺った。

Bさん曰く、主に三つの事に悩まされている。

 

・誰もいないのに足音が聞こえる。

・足が突然に膿む。原因不明。

・「今度死ぬ」という声が、自分のいない部屋から聞こえてくる。

 

心霊スポットに行くなどしていないのに、とBさんは随分参っていた。

Aさんも、気の毒になって色々聞いていたところ、夕食の時間になったのでBさんが振る舞ってくれることになった。

肉じゃがやサラダなど、取り立てて変わった所のないものが並ぶなか、Bさんのそばに見慣れない料理が乗った小皿が置かれた。

いや、料理と言っていいのだろうか。泥のようなものがスプーン一匙ほどの量、無造作に盛りつけられている。

 

「あの、それって?」

 

Aさんは反射的に尋ねていた。食卓の空気にあまりにも不釣り合いだったのだ。

心なしか、悪臭さえ漂う。

Bさんは何という事もなく、「ああ、おしえだよ」と答えた。

 

「あ、市外の人はあんまり知らないか。これ、お母さんにもらったんだけどね、地元の食べ物だよ」

 

「おいしいの?」

 

「全然。でも、早めに食べちゃわないと、よくないことが起きるから」

 

気にした風もなく食べるBさん。何となく、その様子が異様に見えて、Aさんは思わず話題を逸らした。

 

「心霊現象って、いつ頃から?」

 

「二カ月前だから…おしえをもらったあたりかな」

 

絶対にその「おしえ」とやらが悪さしているじゃないか、と思ったが、やはり口に出せない。「おしえ」という名前も、その有様も気味が悪くて、その話もしたくないのだ。

Bさんが「おしえ」と心霊現象の連関を考えていないのも不気味だ。

 

結局、心霊現象の相談はそこそこに、「お祓いに行きなよ」なんて当たり障りのない事を言って切り上げた。

帰路でコンビニ弁当を購入し、自宅で食べる。

今日の事がどうも気になってそわそわする。弁当を口に運びながら心は落ち着かない。

ふと、机の端を見る。

小皿がある。自宅に以前からある小皿だ。おしえがいっぱいに盛り付けられている。

Aさんは次に、自分の弁当に視線をやる。弁当におしえが塗りたくられている。

鏡を確認してみる。口の周りにべったりとおしえがこびりついている。

 

気持ち悪くて仕方がなかった。恐ろしくて、それでもなぜかAさんはおしえを一心不乱に口に運んだ。何故かはわからなかった。「今度死ぬ」という誰かの声がどこかの通りで響いた気がした。

 

 

インタビュー書き起こし(S.Tさん)

あ、もう録音してますか?

はい、ええと佐山(仮名)です。

高校2年生です。

あの、本当に、大した話じゃないんですけど。

 

私の友達の話です。

中学から一緒になった友達で、たまたま席が隣になった子。

話が合ってよく遊びに行くような仲になったんですけど。

その子、夏休み明けに会うと、絶対に怪我をしているんです。

 

最初、ギャクタイかと思ったんですけど、そうじゃなくて。

夏休み中、一緒に遊んでると派手に転んだりするんですよ。

休みの前半はそうでもないんですけどね。

盆明けぐらいから大変で。

足が炎症だかでひどく膿んだり。

夏から秋にかけてすごく病気がちになったり。

本人は明るくて全然、気にしてないんですけど。

 

それで去年、夏休みの課題を、その子の家で一緒に片付けていたんです。

その子の家のリビングで、数学か何かの問題を解いていました。

始めてから…一時間ぐらい経った頃でした。

課題に疲れて、ふと顔を机から上げたんです。

そうしたら、リビングから廊下に出るドアのすりガラスの向こうに、すーっと通り過ぎる人影があったんです。

 

「あれ、誰かご家族いるの?」

と聞きました。その日は家族いないって話だったので。

そうしたらその子、「いないよお」って。

 

「気にしないでね、いないのあれは」

「いるように扱うと、いることになっちゃうから」

 

正直、何のことか分かんなかったんですけど、家庭の事情かなーって、その時はあんまり突っ込んだことは聞きませんでした。だってほら、いない事になってる家族なんて、闇が深そうじゃないですか。

 

そのまま課題をこなしていって、日が暮れてきた頃、その子が言うんです。

 

「佐山ちゃん、何もいないからね」って。

 

何の事?ってその子の方見たら、手があるんです。

手が、手だけがどこかから現れて、その子の顔をべたべた触ってるんです。

悲鳴上げそうになりましたけど、その子に制されました。

その内、家全体の様子がおかしいのが分かりました。

妙にざわざわした音が聞こえたり、人通りは少ないのに外からずっと話声が聞こえたり。

 

「佐山ちゃんが来る前にねえ 水垢離したから 幾らかはましだと思うけど やっぱり夏はねえ」

 

って。その子は気にした風もなく課題を続けてました。

それから私が帰るまで、その手や、人影や、話し声はずっと止みませんでした。

 

耐えきれなくなって私が帰ろうとした時に、その子言いました。

 

「大丈夫、大丈夫だよ」

「いないなら、ないのと一緒でしょ?」

 

その子とは今も友達ですけど…家にはもう行っていません。

 

あの。

これ、この録音。

取材という事でしたけど。

「ある」ように扱わないでください。

ないように扱えば、ないのと一緒なんです。

それだけ、どうか。

 

あの。何もいませんから。

一応、今日は、水垢離してきたから、幾らかましだと思うんですけど。

 

[録音終了]

備忘録1

目銅家について

目銅家は江戸時代中期、銅鉱山事業で財を成した商家が源流であり、特に明治期から戦中にかけて目覚ましい発展を遂げた一族である。

造船から鉄鋼、不動産まで手広く手掛け、政財界に強い影響力を持っていたが、戦中の空襲で工場や家財の多くが焼かれ、次第に一族全体の羽振りは悪くなっていった。

旧銅鉱山跡の近くに本家を構えるが、今では最早管理する人間すらおらず、野に帰るに任せている。とはいえ、地域では未だに強い影響力を持ち、先日変死した前市長は目銅の親類縁者と言う話だ。

 

目銅が本拠を構える目銅市は、海に面し、後背を山に囲まれた、言ってみれば鎌倉のような土地である。人口10万4千人の地方都市で、夏にもなれば海水浴目当ての観光客がやってくる程度の、特筆すべきこともない土地だ。

かつては「道の石ころ一つまで目銅が手掛けた」と言われるほどであったが、今や見る影もない。

 

目銅家の創始者

 

目銅家の創始者、銅鉱山で財を成した男の名前は長兵衛という。

銅鉱山を拓くまでは中藤という姓を私称していたが、事業の成功と共に、目銅と名乗るようになったとのことである。長兵衛に関しては目銅市史に詳しい。

精力的に活動したが短命で、四十を迎える前に病没した記録が残っている。

事業に関する記録に名前は残るが、人柄や来歴について伝わることは少なく、外見も「見目麗しい」「とりたてて見るところのない」などと矛盾した記述がいくつかの日記から確認できる。

 

目銅家が現在経営する会社の一覧

・目銅電機工事

・MOKUDO SOFTWARE(旧称・目銅コンピュータ)

・目銅設備

・目銅メディカルケアセンター

・目銅不動産グループ

・目銅鉄鋼

・目銅貿易

 

目銅家は明らかに斜陽へ傾く家ではあるが、

事業の何もかもが破綻・衰退しているわけではなく、

今なお地域社会に強い影響を持つ一族である。

 

目銅鉄鋼について覚書

目銅家を繁栄させた銅鉱山事業から撤退して久しいが、後継である目銅鉄鋼は

現在も存続している。目銅家経営企業の中で最も安定していると言っていいだろう。

しかし前社長と前々社長の変死事件の頃から、社内は明らかにおかしいそうだ。

たまたま伝手があった私は、元従業員の男に接触して、世間話を装っていくらか情報を探った。

はじめは大層言葉を濁されたが、「ぼうっとする社員が増えた」と答えてくれた。

 

曰く、作業中に急に手を止め、何もない宙を眺めるのだそうだ。大抵、数秒から一分程度続き、はっとして作業に戻る。大したことはないように聞こえるが、現場では作業中の事故にもつながっており、死者も出ている。

目銅鉄鋼で彼は一度、「何を眺めているのか」を、ぼうっとしている従業員に聞いたことがあるらしい。その際、一言「おしえ」とだけ言われたという。

 

はじめに

さて、私の連絡が途絶えてしばらく経ったら、

このブログに指定のテキストを投稿するように頼んでいる。

ここで人目に触れているという事は、私に相応の事が起こったのだろう。

 

まずはじめに、私の名前は宇保亮太。

目銅の屋敷について調査している。

これを書いている現在は2022年末、世界は疫病の只中である。

 

目銅の屋敷について、調査した事実が散逸しないよう、

人に頼んでこうしてブログとして発表しようと思い立ったわけだ。

ババさん、協力ありがとう。

 

他の記事で、調査結果や備忘録を投稿していく。

私に何事もなく、この記事が公開されないことを願っているが…

その時はババさんに引き継ぎます。

よろしく。

 

 

■追記

ババです。一年以上も宇保さんの消息が分からないため、

彼の指示通りに記事を公開します。

目銅を調べる他の方の為になれば幸いです。